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【アラベスク】  第18章 恋愛少女



第3節 女同士 [2]




「くだらない減らず口を続けると、本気で怒るぞ」
「瑠駆真に怒られても怖くない」
「バラすぞ」
 美鶴は思わず見上げた。迂闊ながら動揺してしまった。
「霞流の事、学校でバラすぞ」
「やめろ」
「なら霞流とは別れろ。離れるんだ」
「卑怯者」
 瑠駆真は唇を噛んだ。
 卑怯者。そうかもしれない。交換条件などといったやり方は、瑠駆真も好きではない。
 だが、もはや手段など選んではいられない。そんな悠長な事を言っている時ではないのだ。
「卑怯だな。脅しか?」
「勧告だ」
 短く告げる唇が震えていたのを、美鶴は覚えている。瑠駆真は本気だった。本気で美鶴を霞流から引き離そうとしていた。
 三人の間を通り抜ける風は、冷たかったけれども緩やかで、優しかった。あぁ、もうすぐ春なんだなと、場違いな事を考えてしまったのも、覚えている。



 美鶴は顔をあげた。駅舎の窓から見える景色は緑一色。寒さも和らいだ。もうコートを羽織ったまま椅子に腰掛け、手袋をしたままシャーペンを握る必要は無い。だが美鶴は、気を緩めると全身が震えてしまうような気がして、どうしても肩に力を入れてしまう。
 瑠駆真は本気だった。聡もだ。それはわかっている。だが、本当にバラすとは思ってはいなかった。
 そんな卑怯な手を、あの二人は使わない。
 それは希望か? それとも、自分が単に二人を甘く見ていただけなのか?
 甘く。

「君は男というものを少し(あなど)ってやしないか?」

 私は、二人を侮っていたのだろうか? 二人ならバラすような事をしないだろうと、甘く見ていたのだろうか? 二人を信じる事は、侮る事になるのだろうか?
 自分は、二人を信じていたのか? それとも、瑠駆真が言うように甘く見ていただけなのか?
 彼らは、美鶴と霞流を引き離すためならば、何でもする。
 今朝学校で同級生から霞流への恋心を問い詰められ、美鶴は咄嗟に何も言えなかった。
 この駅舎は霞流という富豪の持ち物で、美鶴は管理を依頼されている。その事実は学校でも知られている。だから、霞流という人物と美鶴に接点があるのは当然だ。霞流などといった人物は知らないなどと、そうシラを切る事はできない。知らぬフリのできなかった美鶴には、咄嗟にどう否定すればいいのか思いつかなかった。
 私は本当に、嘘が付けないんだな。
 自嘲すらしてしまう。
 朝の教室、絶句する美鶴の表情が相手を心地良くさせたのか、大袈裟に肩の髪の毛を手の甲で跳ね上げる同級生。
「なんでも、昼と言わず夜と言わずにメールでデートのお誘いをしているとか?」
「そんな事はしていないっ」
 思わず腰を浮かせてしまった。いつもなら何を言われても無関心を装い、適当な生返事しかしない美鶴の狼狽っぷり。相手はますます気を良くする。
「あぁら、どうかしら? そもそも、お持ちの携帯電話だって、霞流という方からお借りになっているのでしょう?」
「男に頼るなんてバカ女のする事だ、などと見下げたような事を言っているワリには、ご自身こそ男性にご援助を頂いているじゃありませんか?」
「そもそも、火事で家を失った時だって、かなりの援助を頂いているとか?」
 美鶴の机を取り囲むように、生徒たちが集まってくる。(あざけ)りと(さげす)みを湛えた瞳で、群がるように見下してくる。
「今お召しになっている制服だって、その霞流とかおっしゃる方から頂いたのでしょう?」
 最初に声をかけてきた女子生徒が、無遠慮に上着の襟を掴む。美鶴は勢いよく払い飛ばした。
 激しく叩かれ、相手は眉を寄せて睨み返す。だが、すぐにその口元には笑みが浮かんだ。叩かれた手の甲を摩りながら口の端を吊り上げる。
「あらあら、これは失礼いたしましたわ」
 ネットリと嗤う。
「想いの方から頂いたお召し物となれば、他の者には触らせたくもない。そのようなところかしら?」
「頂いたと言うよりも、恵んでもらったと言った方が正しくなくって?」
 クスクスと、教室中に笑い声が広がる。
「お噂では、あなたからの好意は、相手には迷惑としか思われていないとか? 当然ですわよね。あなたのような貧民が霞流家の御曹司とだなんて、釣り合うわけがありませんもの」
「お情けを掛けてもらっているだけなのに、ご好意と勘違いなさるなんて、浅はかもいいところだわ」
「これだから下民は困るのよ」
 高笑いが響く。男も女も、皆が美鶴を侮蔑する。
 予鈴が鳴った。相手は腰に手を当て、緩やかに顔を寄せてくる。
「おバカさん」
 鼻を突くような激しい香りに目の前がクラクラした。その後に受けたのが何の授業だったのかも覚えてはいない。授業が終わると同時に教室を出た。誰の声にも耳を貸さず、そのまま学校を出てしまった。残りの授業はサボった。
 家に帰るべきだったのかもしれない。
 だが、母の顔は見たくはなかった。
 誰の顔も見たくはなかった。誰の声も聞きたくはなかった。
 おバカさん。
 頭の中に嘲笑が吹き荒れる。強く目を瞑り、耳を塞いでも、彼らの、彼女らの声が消える事は無い。
 嗤っている。
 頭を振れば、その動きに付いてまわるかのように嘲笑も揺れる。外灯の下で集団で飛び回る名前も知らない小さな虫たちが、人間の頭の上に突然群がってくるかのよう。どんなに頭を振り、手を振って追い払おうとしても、奴らは執拗に群がってくる。
 バカだ。
 あの女はバカだ。
 くだらない恋をしている。
 身の程も知らない。
 どうせ惨めにフられるのだ。
 無様にフられて捨てられるのだ。
 澤村(さわむら)優樹(ゆうき)の時のように。
 美鶴は大きく息を吸った。
 嗤っている。周囲はみんな嗤っている。同級生も、先生、里奈(りな)も。
 そうだ、きっとみんな嗤っているのだ。あの時もそうだったんだから。
 じゃあ今回は?
 霞流さんの事をバラしたのは誰だ?
 今回も、やはり誰か裏切り者がいるということなのだろうか。
 里奈のように。







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